大判例

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大分地方裁判所 平成5年(行ウ)9号 判決 1998年4月20日

原告

伊賀幸子

右訴訟代理人弁護士

古田邦夫

河野聡

被告

佐伯労働基準監督署長

若林新市

右訴訟代理人弁護士

河野浩

右指定代理人

森敏明

外一〇名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和六三年一〇月一八日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は亡伊賀富夫(以下「亡富夫」という。)の妻であり、かつ同人の葬祭を行う者である。

2  亡伊賀富夫の死亡

亡富夫は、協栄産業有限会社(以下「協栄産業」という。)に雇用され、港湾荷役作業に従事していたが、昭和五七年七月三一日の勤務終了後、乗用車を運転して帰宅するや、胸痛を訴えながら室内に倒れ込み、医師の治療を受けたが、同日午後一〇時三五分、心筋梗塞により死亡した。

3  行政処分の存在

原告は、亡富夫の死亡は業務上の事由によるものであるとして、被告に対し、労働者災害補償保険法(以下「労働保険法」という。)に基づき、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は、昭和六三年一〇月一八日、亡富夫の死亡は業務上の事由によるものではないとして、右遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

4  不服申立て

原告は、本件処分を不服として、大分労働基準局労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたところ、平成二年六月一日、右審査請求を棄却する決定を受けた。さらに、原告は、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、平成五年九月八日、右再審査請求を棄却する裁決を受けた。

5  本件処分の違法性

(一) 「業務上の死亡」の概念について

労災補償制度は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たす最低基準を定立することを目的に、負傷・死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件に、補償を行う法定救済制度と捉えるべきであり、この趣旨に照らし、「業務上」の概念も、業務と合理的関連性があるか否かによって画すべきである。

仮に、「業務上」の概念を相当因果関係論で画するとしても、それは自然科学における高い証明の程度ではなく、不法行為と同様「高度の蓋然性」の基準に基づいて、通常人の経験則に基づく判断をすべきである。

そして、基礎疾病がある労働者の場合、業務と傷病又は死亡との相当因果関係を判断するにおいては、被告の主張する相対的有力原因説ではなく、いわゆる共働原因説(業務が他の原因とともに共働原因となっていれば足りるとする見解)によるべきであり、使用者の労働者に対する安全配慮義務違反も、相当因果関係の判断に当たり考慮されるべきである。

被告の主張する通達による認定基準は、一律に発症前一週間以内の過重業務の継続を要件としているが、これは単に労災保険給付の要件を厳しく絞るための政策的基準という以上の意味を持つものではなく、虚血性心疾患等の場合、基礎疾病としての高血圧症や動脈硬化症は、長年月の肉体的・精神的ストレスの蓄積が原因となるものであり、これに対する長期間にわたる業務の影響を考慮した条件関係及び相当因果関係の検討が必要である。

(二) 亡富夫の既往歴

亡富夫は、昭和五三年ころ、作業中に狭心症発作を起こし、昭和五五年一一月二六日から同年一二月二九日まで、狭心症で入院治療を受け、持病として本態性高血圧症、狭心症を有していたものである。

(三) 亡富夫の生前の作業について

(1) 生前の作業内容について

亡富夫は、昭和四八年五月、吉田港運株式会社(以下「吉田港運」という。)の下請である協栄産業の設立に際して監査役に就任し、昭和四九年九月には監査役を辞任して、労働者の立場で勤務するようになったが、それ以降も、吉田港運の作業指示、労務管理を受けながら、協栄産業の中心的存在として、他の労働者より責任の重い立場にあった。

協栄産業は、主として外材の荷揚げ作業を行い、亡富夫は本船(貨物船)の玉掛け作業又は造船用の鉄板を仕分ける大型三五トンレッカー車の運転に従事していたが、これらは危険で細心の注意を要する作業であって、精神的緊張を伴うものであり、また、いずれも屋外作業であるため、暑熱、寒冷の影響を直接に受ける作業環境にあった。しかも、ともに免許を要する作業であり、代替要員に乏しいため、免許を有する亡富夫は、度々、休日出勤を強いられていた。これらの作業実態は、亡富夫の虚血性心臓病(狭心症)、本態性高血圧症の症状を増悪させる有力な危険因子として慢性的に作用していたというべきである。

なお、亡富夫の既往歴については、協栄産業の代表者や吉田港運の作業部長は、これを知り又は知り得る立場にあったにもかかわらず、亡富夫の作業環境の改善や作業負担の軽減などの措置をとっていなかった。

(2) 死亡当日の作業内容とその過重性

亡富夫は、死亡当日は、炎天下で、午前八時から、レッカー車の運転に従事し、午後四時五〇分ころから、チェンソーを使用して、トレーラーに積み込むラワン材の玉切り作業を行い、午後五時ころ、汗まみれとなり、顔色も優れない状態になった。

右の玉切り作業は、長さ一メートル半ほどの相当の重量のあるチェンソーを作業場に運び、直径一メートルないし二メートルもあるラワン材を、チェンソーを抱え、かつ下方に力を入れて、前後にチェンソーを移動させるため、かなりの重労働で、しかも危険性が高いので、相当の精神的緊張を伴う作業である。しかも、富夫の本来の業務は、レッカー車の運転であり、玉切り作業にはそれほど慣れておらず、一日の終業時に、短時間で玉切り作業を終了させなければならず、作業現場の移動、チェンソーの始動、玉切りの実施という一連の作業をしたことが、亡富夫の心身に強い過重労働の負担と特別な精神的緊張をもたらしたものである。

(3) 死亡前一か月間の作業の時間的過重性

亡富夫は、昭和五七年六月二六日から同年七月三一日までの三六日間に、三回の休日出勤をし、三日だけしか休んでおらず、同年七月一二日から同月二八日まで一七日間の連続勤務に従事し、しかも同月二六日から二八日までは、三日間連続で、午前六時からの早出出勤に従事し、更にこの三日間で、計八時間の時間外勤務に従事している。

このように、亡富夫は、発症当日の激務のみならず、それ以前の過重な作業負担の下で、心身ともに疲労やストレスを蓄積させるに至っていたものである(亡富夫は、死亡二日前(昭和五七年七月二九日)に一日だけ有給休暇をとっているが、特に同月一二日以降に蓄積された疲労は解消されずに同月三〇日以降に持ち越されたというべきである。)。

(4) 死亡前の作業環境(気象状況)について

亡富夫が死亡した日を含むそれまでの一週間は、それ以前の一週間に比べて、高温が続くと同時に、日照時間も長かったため、輻射熱が強い作業環境にあった。

特に三一日は、それまでの二週間の中でも最も最高気温が高く、最高最低温度差が最大で、最も日照時間が長く、輻射熱も最も強かったことが推測され、心筋梗塞の既往を有する亡富夫の循環器系への負担を増大させたことが明らかである。

(四) このように、亡富夫が心筋梗塞により死亡したのは、狭心症などの持病をかかえながら、長年にわたり、劣悪な環境の下で、心身に過重な負担をもたらす作業に従事した結果、右持病が増悪し、また、死亡当日は、連日の作業で、疲労が蓄積した状況の下で、非日常的で危険性のあるチェンソーによる玉切り作業に従事したことにより、亡富夫の心身に強い負担と特別の精神的緊張をもたらしたためであり、使用者にも亡富夫の病状に配慮しなかった過失があるから、亡富夫の死亡と業務との間には、相当因果関係が存し、本件は業務上の事由による死亡というべきである。

6  よって、本件処分は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の事実は認める。

2  同5の主張は争う。

三  被告の主張

1(一)  労働者が「業務上死亡した場合」に当たるというためには、労働者の従事していた業務と死亡との間の因果関係(業務起因性)が必要であるが、労災保険が労働基準法の定める災害補償責任を担保するための制度である以上、右の業務起因性とは、業務と死亡との間に条件関係があることを前提としつつ、両者の間に法的に労災補償を認めるのを相当する関係(相当因果関係)が認められることが必要である。

(二)  そして、心筋梗塞による死亡の場合に、業務と心筋梗塞との間に条件関係が認められるためには、当該業務が過重負荷、すなわち心筋梗塞が発症する基礎となる動脈硬化等の血管病変、心筋変性等の基礎的病態を、その自然経過を超えて、急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる程度の負荷であったことが必要であり、具体的には、発症の二四時間前に特に過重な身体的、精神的負荷が存在したかどうか、場合によっては発症一週間前に過重な身体的、精神的負荷が継続したかどうかで判断される(昭和六二年一〇月二六日付基発「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」)。

(三)  また、労働基準法の定める災害補償責任の法的根拠は、使用者が労働契約を通じて労働者をその支配下に置き、使用従属関係の下で労務の提供をさせる以上、その過程において、企業に存在する各種の危険の現実化として労働者が負傷し又は疾病にかかった場合には、使用者はその危険を負担し、労働者の損失填補に当たるべきであるという危険責任の法理にある。したがって、当該業務と死亡との間に条件関係が認められる場合に、右災害補償責任を担保する制度である労災保険における業務起因性を肯定するためには、当該疾病等の発生が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係があることが必要である。そして、本件のような脳心疾患は、本人が有する基礎疾患に業務以外の様々な原因が競合して発生するものであるから、右傷病等の発症が業務に内在し通常随伴する危険の現実化であるというためには、平均的な労働者を基準にして、当該業務が当該傷病に対して、他の原因と比較し、相対的に有力な原因となっていることが必要であり、このような場合に相当因果関係が認められるべきである。

なお、右相当因果関係の判断に際し、原告の主張するように、使用者の安全配慮義務違反を業務起因性の要件の中に取り込むことは、無過失責任主義に立つ災害補償制度と相容れず、相当ではない。

2  亡富夫の心筋梗塞と業務との条件関係について

(一) 亡富夫の既往歴

(1) 亡富夫は、昭和五二年六月二四日、胸痛、前胸部絞扼感、息苦しさを訴えて、中浦循環器クリニック(中浦靖久医師)で診察を受け、血圧が一五〇―一〇〇であり、心尖部で収縮期性雑音が聴取され、心電図ではST波、T波に虚血性変化が認められたほか、古い高位側壁梗塞を疑わせる所見が認められたため、虚血性心臓病、本態性高血圧症と診断された。

また、亡富夫は、同年一一月二五日、狭心症発作を起こして同病院に再来院したが、心電図所見に虚血性変化の悪化、不整脈が認められた。

(2) さらに、亡富夫は、昭和五五年一一月二六日、狭心症、心筋梗塞の発作を起こして井上病院(井上孝寛医師)を受診し、同病院の紹介で、西田病院に、同年一二月二九日まで入院した。

その後、亡富夫は、昭和五六年四月一〇日、再び狭心症発作を起こして中浦循環器クリニック、井上病院を受診し、心電図所見で冠不全、不整脈が認められ、それ以後毎月二、三回、井上病院で通院治療を受けたが、同年八月一九日の心電図所見では悪化の傾向が認められた。

(3) 昭和五一年から昭和五六年にかけて、協栄産業において実施された定期健康診断では、亡富夫の血圧は収縮期血圧が一五〇から一七〇台、拡張期血圧が一〇〇ないし一一〇台を示し、医師から二次検診等を度々指示されていた。

(4) このように、亡富夫には、高血圧症等の基礎疾病が存在し、昭和五二年以降、数回にわたって狭心症、心筋梗塞の発作を起こしており、心電図の所見は悪化傾向をたどり、いつ急死するかもしれない状態であった。

(二) 亡富夫の業務内容

亡富夫が、死亡当日に従事したのは、鉄板の仕分けのためのレッカー車の運転のみであって、これは亡富夫が日常行ってきた作業の一つであり、本船の玉掛け作業に比し、負担の軽いものであった。

また、亡富夫は、同月二六日から二八日まで、合計八時間の残業をしているが、同月二九日に年休を取得していることを考えると、亡富夫の死亡当日及びそれ以前の業務が、日常の業務と比較して、特に過重であったとは認められない。

(三) 亡富夫の作業環境

亡富夫が死亡した当日は、佐伯地方では、平均気温が二六度、最高気温が29.5度(正午)、最低気温が25.4度(午前八時)、日照時間が11.2時間であり、同日以前の気温と比較しても特段に暑かったといえるものではなく、平均風速が毎秒1.7メートル、最高風速が毎秒四メートル、最低風速が毎秒一メートルという気象状況も考えると、夏場の作業環境としては良好であり、他に特段の作業環境の変化があったと認めることはできない。

(四) したがって、亡富夫の死亡は、同人が有していた疾病が自然経過の中で増悪し、心筋梗塞が発症するに至ったことによるものであり、同人について、過重な作業に従事し、これが狭心症などの著しい増悪を招いたとはいえないから、同人の業務と心筋梗塞による死亡との間に条件関係は認められない。

3  相当因果関係について

仮に、亡富夫の業務と死亡との間に因果関係が認められるとしても、同人の従事していた業務は年齢、経験を同じくする同種、同量の業務と比較して、特に過重なものとはいえず、心筋梗塞の発症が当該業務に内在し、通常随伴する危険の現実化であるとは到底いえないから、相当因果関係は認められない。

第三  証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の各記載を引用する

理由

一  請求原因1ないし4(当事者、亡富夫の死亡、行政処分の存在、不服申立て)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  亡富夫の死亡の業務起因性

1  本件の事実関係

争いのない事実に、証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  亡富夫の経歴

亡富夫(昭和一二年七月二五日生、死亡当時満四五歳)は、中学卒業後から材木の運搬作業員として稼働し、昭和四四年ころから、佐伯市鶴谷区に所在し、港湾運送事業等を営む吉田港運の従業員として勤務し、昭和四八年五月、他の同僚とともに、同社の下請会社として協栄産業を設立して、監査役に就任したが、そのままでは雇用保険や労災保険の給付が受けられないところから、昭和四九年七月に監査役を辞任し、死亡当時まで従業員として同社に勤務していた(争いのない事実、乙第三号証の一三、一四、一七、二二、五六、弁論の全趣旨)。

(二)  亡富夫の業務内容等

(1) 協栄産業は、社長を含めて数名の会社であり、吉田港運と同じ敷地内に本店、事務所を有し、専ら同社の下請けとして、本船荷役作業(貨物船内の船倉に積載された外材原木の積出作業)、鉄板仕訳作業(造船用の鉄板を大きさごとに仕分ける作業)、土木作業(テトラポットの組立等)、水面筏の水切作業(筏に組んで水面に浮かべた原木を陸揚げする作業)などを担当していたところ、亡富夫は、協栄産業の設立当初からこれらの作業に従事していたが、そのうち主に本船内での玉掛け作業、鉄板仕分作業の際のレッカー車(大型三五トン)の運転を担当していた(争いのない事実、乙第三号証の一五、一六、二二、弁論の全趣旨)。

本船内での玉掛け作業は、船倉に積載されている外材の原木を積み出す際に、原木にワイヤーを掛けるものである。また、鉄板仕訳作業におけるレッカーの運転は、作業員がハッカーに架けた鉄板を移動させる作業である(乙第三号証の一六、一九、二〇、二二、弁論の全趣旨)。

(2) 本船内での玉掛け作業は、作業場所が船倉で通気性が悪く、夏場には作業場所の温度が上がり、また材木の上を歩くため神経を使い、協栄産業の業務の中でも重労働の一つであった。

これに対し、レッカーの運転は、鉄板を仕分ける作業員の負傷防止などに注意を払う必要があり、精神的緊張を要する作業ではあったが、肉体的には比較的楽な作業であった。夏場の作業環境の点でも、地上での鉄板の仕分けがアスファルトや鉄板の輻射熱のために高温下での作業となるのに対し、レッカーの運転席は地上より若干高い位置にあり、通常側面のドアと前面の窓を開けており、扇風機が設置してあったため、地上ほど高温ではなかった。

このようなレッカーの運転は、各種労作の運動強度表(国立循環器病センターCCU作成)による職業労作の運動強度としては、三ないし四メッツ(トラック、タクシー運転等)程度のものと位置付けられ、軽作業の部類に含まれるものである(乙第三号証の一六、一八、二一、二二、第七号証の一、第一八、第一九号証、証人高野元和、同清田正司)。

(三)  亡富夫の生活状況、健康状態

(1) 亡富夫は、昭和五二年六月一〇日ころから、胸痛、前胸部絞扼感、息苦しさを訴えるようになり、同月二四日、中浦循環器クリニックで中浦靖久医師の診療を受けたところ、血圧が一五〇―一〇〇であり(WHOの高血圧基準(一九七八年)によれば、正常値は一四〇―九〇であり、一六〇―九五以上(いずれか一方又は両者)であれば高血圧となる。)、心尖部で収縮期性雑音が聴取され、心電図検査の結果、ST波、T波に虚血性変化が認められたほか、陳旧性の高位側壁梗塞を疑わせる所見があったため、同医師から虚血性心臓病、本態性高血圧症と診断され、抗狭心症薬、降圧剤を投与され、食事療法や運動量の順守を指示された(乙第三号証の三〇)。

次いで、亡富夫は、同年一一月二五日午前六時ころ、狭心症発作を起こして、再度、中浦循環器クリニックで診療を受けたが、心電図検査の結果、虚血性変化の悪化、不整脈の出現が認められ、狭心症と診断された。そして、翌二六日、中浦医師は、亡富夫に入院治療を勧めたが、同人が断ったので同医師の下に通院して治療を継続することとなった。それ以後、亡富夫の症状は、昭和五三年九月四日の検査でST波、T波の虚血性変化がわずかに認められたほかは、概ね改善傾向をたどっていたところ、昭和五四年二月九日の投薬治療を最後に、同人は中浦循環器クリニックへの通院を中断した(乙第三号証の三〇)。右通院期間中の昭和五三年ころ、亡富夫は作業中に狭心症発作を起こして倒れたこともあった(争いのない事実)。

さらに、亡富夫は、昭和五五年一一月二六日午後五時二五分ころ、前胸部痛、呼吸困難等を訴えて井上病院を受診したところ、血圧が一二八―九二と測定され、心電図検査で梗塞曲線、X線検査で心肥大がそれぞれ認められ、狭心症と診断された。同人は、井上医院の紹介で、西田病院に入院したが、翌日の心電図検査の結果、Ⅱ、Ⅲ、a VFの各誘導で異常QS波が出現したほか、白血球の増加、血清CPKの上昇など、下壁梗塞を示す所見が認められた。亡富夫は、西田病院に同年一二月二九日まで入院し、食事、薬物療法等による治療を受け、昭和五六年四月まで通院した(争いのない事実、甲第一号証、乙第三号証の一七、三二、三六、第七号証、第二五号証の各一、証人清田)。

亡富夫は、昭和五六年四月一〇日、再び前胸部痛、呼吸困難からなる狭心症の発作を起こして、中浦循環器クリニックを受診したところ、心電図所見で著しい虚血性変化が認められた(乙第三号証の三〇)。そして、亡富夫は、同日、井上病院も受診したところ、心電図検査の結果、心室性期外収縮が出現し、冠不全、不整脈の所見が認められた。また、血液検査の結果、総コレステロール値は二六九であり(正常値は一三〇ないし二五〇)、高脂血症と診断された。それ以後、亡富夫は、月に二、三回の割合で、昭和五七年七月一七日まで、井上病院に通院し、その間、狭心症治療薬、降圧薬、血管拡張薬、抗高脂血症薬の投与を受けたが、心電図所見では三回にわたって心室性期外収縮が出現し、また昭和五六年七月一五日の検査所見では、心室頻拍、心室細動などの致死的不整脈に進展する危険を示すR on T波が出現していた(甲第一号証、乙第三号証の三二、第七号証の一、第一二号証、第二五号証の二ないし九、証人清田)。

(2) 昭和五一年から昭和五六年にかけての協栄産業における定期健康診断の結果によれば、亡富夫の身長は165.5センチメートルで変わりなく、その余の検査結果は次のとおりである(甲第一号証)。

血圧     体重

①昭和五一年一二月一三日

一五〇―一一四 七七キログラム

②昭和五二年二月二一日

一六八―一一四

③昭和五五年一一月五日

一七六―一一八 七六キログラム

④昭和五六年一一月一一日

一六四―一〇四 73.5キログラム

(3) 亡富夫は、西田病院に入院した期間を除いて、一日二〇本程度の喫煙をしていた(甲第一号証、乙第三号証の一七、原告本人)。また、亡富夫の体重は、昭和五一年ころから五六年ころにかけて、標準体重(BMI法によれば、約60.3キログラム)を、常時二〇パーセント以上も上回っていた(甲第一号証、証人清田)。

そのため、昭和五六年一一月の定期健康診断においては、医師から、現在の治療(高血圧治療のための内服、狭心症治療)を長期間続けることのほか、禁煙が必要であること、標準体重への調整が必要であることを指示されている(乙第三号証の四三)。

また、亡富夫は、昭和五六年五月六日の井上病院での生化学検査の結果、高尿酸血症の所見(7.0mg/dl)が認められ、以後、同病院で、尿酸下降薬の投与も受けるようになり、一時尿酸値は下降したが、昭和五七年七月一七日の検査では、5.6mg/dlと、なお正常値(2.5ないし5.0mg/dl)を上回っていた(甲第一号証)。

(4) 以上のとおり、亡富夫は、高血圧症、高脂血症、高尿酸血症、心肥大の基礎疾患を有し、肥満度は二〇パーセントを上回り、一日二〇本以上の喫煙習慣があった。

また亡富夫は、昭和五二年六月から昭和五六年四月まで、合計五回にわたる狭心症発作を起こし、そのうちの一部は心筋梗塞に移行しており、また右期間中の心電図検査においても、陳旧性高位側壁梗塞、下壁梗塞を示す所見が現われていることから、複数の冠動脈肢に病変が存在するものと判断され、心室性期外収縮、R on T波などの異常所見も認められた。

このように、亡富夫に認められた血清脂質異常(特に高コレステロール血症)、高血圧、肥満、心電図異常、心肥大、高尿酸血症等の基礎疾患ないし既往歴、喫煙等の生活習慣は、いずれも虚血性心疾患ないし冠状動脈硬化症の冠危険因子とされ、特に高血圧、高コレステロール血症、喫煙は三大冠危険因子とされており、これらの冠危険因子が集積した場合には、単独の冠危険因子の場合よりも、虚血性心疾患、冠状動脈硬化症の発症の危険性が飛躍的に増大するとされている(乙第七号証の一、第一〇、第一二ないし第一四号証)。また、冠状動脈病変は、一肢病変よりも複数肢の病変の方が、予後が悪いとされている(乙第一五号証)。

このような状態から、亡富夫については、昭和五七年七月当時、心筋梗塞が発症し、急死に至る高度の危険性が存在していたものである(乙第三号証の四〇、証人清田、同児玉俊一)。

なお、喫煙及び肥満度については、それぞれ一日二五本以上、三〇パーセント以上を冠危険因子とする見解もあるが(甲第一六号証)、それぞれ一日二〇本以上、二〇パーセント以上の場合でも、虚血性心疾患の発症率は相対的に上昇すると認められる(乙第一三号証)。また、昭和五七年七月一七日の検査結果によれば、亡富夫の高コレステロール血症及び心電図上のST波の変化は改善傾向を示していたが(甲第一号証)、総コレステロールは二二三mg/dlと、なお治療を必要とする基準値(二二〇mg/dl、日本動脈硬化学会一九八七年度冬季大会による、甲第一六号証)を超えていたのであり、また心電図検査においてもなおST波、STジャンクションの下降の所見が現われており(乙第七号証の一、第二五号証の九、証人清田)、それ以前の検査結果、亡富夫の狭心症、心筋梗塞の既往歴及び他の冠危険因子と総合すると、右検査結果のみをもって前記心筋梗塞発症の危険性が減少したと認めることはできない。

(四)  亡富夫の死亡前の勤務状況等

(1) 残業日数、休日出勤等

協栄産業における就業時間は、午前八時から午後五時までであり、午前一〇時から一五分間、午後〇時から一時間、午後三時から一五分間が、それぞれ休憩ないし昼食時間となっていたが、時折、午前八時前の早朝出勤、午後五時以降の残業による時間外労働が入ることがあり、また休日出勤をすることもあった、亡富夫も、昭和五六年八月期(前月二六日から当月二五日まで)以降、一か月当たり二〇時間前後の時間外労働、二、三回の休日出勤をしていた。

亡富夫及び協栄産業の同僚らの一か月当たりの時間外労働及び休日出勤は、昭和五七年四月期からは、別紙一、二のとおりである(乙第三号証の二二、二五ないし二八)。

(2) 亡富夫の死亡の約一か月前からの作業内容、勤務状況、作業環境等

① 昭和五七年六月二六日から同年七月三一日までの亡富夫の作業内容は別紙三のとおりである(乙第一、第二号証、第三号証の四四、五二、証人大下徹、同高野)。

② 昭和五七年七月期(同年六月二六日から同年七月二五日まで)における亡富夫の早出、残業による時間外労働時間は、合計二三時間であった。また、法定休日のうち七月四日、一八日、二五日の三回にわたり休日出勤をしており、休日は六月二七日、七月一一日のみであった。なお休日出勤の場合の勤務時間は午後二時三〇分までであった。

八月期(七月二六日から死亡当日の同月三一日まで)における同人の時間外労働時間は、合計八時間であり、その内訳は二六日に残業二時間、二七日に早出二時間、残業二時間、二八日に早出二時間であった。また同人は七月二九日には有給休暇(一日分)を取得している。

また、同人は、レッカーの回送を行うに当たっては、公道での混雑を避けるため、始業時間前に出勤することが度々あり、七月二六日から二八日にかけても、三日連続で、午前六時からの早出勤務をしていた。ただし、このレッカーの回送業務は、通常は午前六時三〇分ころには終わり、その後は、協栄産業の事務所で午前八時まで休憩することができた(争いのない事実、甲第一七号証、乙第三号証の二七、二八、四四、五二、証人大下、同高野)。

③ 佐伯地域気象観測所における昭和五七年七月の気象観測値は、別紙四のとおりであり、死亡前約一か月間において、一日の平均気温が三〇度を超えた日はなかった。

亡富夫が、重労働である本船内での玉掛け作業に従事した六日間の平均気温も、それぞれ21.5度(二日)、21.9度(三日)、22.5度(一四日、一八日)、23.2度(一九日)、23.6度(一五日)であった(乙第三号証の五〇)。

(五)  亡富夫の発症前日から死亡当日にかけての状況

(1) 発症前日及び死亡当日の業務、勤務状況

亡富夫は、昭和五七年七月三〇日、午前八時に出勤して、レッカーの運転とラワン材の水切り作業に従事し、午後五時に勤務を終了して帰宅し、同日夜には約九時間の睡眠をとった(乙第三号証の二七、四四、五二、六一)。

亡富夫は、翌三一日、午前八時に出勤して、レッカーの運転を開始し、午前一〇時まで作業を継続したが、普段は休憩時間に喫煙のために運転席から降りて来るのに、その日はレッカーの運転席でうつぶせになっていた(甲第二号証、乙第三号証の一九、証人森川弥城)。一〇分ほどして、作業が再開されたが、その後は亡富夫に特に変わった様子もなく、レッカーの運転を続行した。

正午から午後一時までは昼休みであったが、亡富夫も、協栄産業の事務所休憩室で同僚とともに食事をし、休憩をとったが、この時も特に変わった様子は見受けられなかった。

午後一時から鉄板仕訳作業が再開され、午後三時の休憩時間には、亡富夫もレッカーから降りて日蔭で休憩したが、この時も同人に特に変わった様子はなかった。鉄板仕訳作業は、その後、午後五時前まで続けられた(乙第三号証の一九)。

そして、亡富夫は、午後四時五〇分ころ、玉切り作業(チェンソーによりラワン材をトレーラーに積載することができる長さに切断する作業)をすると言って、レッカーの運転を止め、鉄板仕訳作業の現場から一五〇メートル位離れた岸壁に向かって歩いていった(甲第二号証、乙第三号証の一九、証人森川)。

(2) 死亡当日の勤務終了から死亡に至る経緯

亡富夫は、午後五時ころ、勤務を終了し、協栄産業の更衣室で着替えをしたが、その際、椅子に座って額に多量の汗をかいており、居合わせた同僚の高野元和から「気分が悪いのではないか。」と聞かれ、「どうもない」と返事をした(乙第三号証の二一、二四、証人高野)。

同日は給料日であったので、亡富夫は着替えを終えた後、協栄産業の事務所に赴いて中谷保人社長から給料を受け取ったが、その際、顔中に汗をかいており、同社長からどこか悪いのではないかと聞かれて「うん、少しな―」と答えた(乙第三号証の二二)。

亡富夫は、給料を受け取ってすぐに事務所を出て、帰宅のために協栄産業の駐車場で自家用車に乗り込んだが、しばらく車を発車させずに下を向いたままの状態でいた(乙第三号証の二〇)。

その後、同人は自動車を運転して駐車場を出発し、午後五時一五分ころ、帰路にある佐伯郵便局に立ち寄って、同局の理髪店に勤務していた原告を乗せたが、この時、亡富夫の顔色は良くなく、多量の汗をかいていた(甲第一七号証、乙第三号証の一七、第二六号証の一、二、原告本人)。

亡富夫は、その約一〇分後に、アルバイトをしていた次女を迎えるべく、実兄の経営する果物屋に寄ったが、同所ではしゃがみ込んで次女を待っており、たまたま高野が自動車で通りかかった際にも、しゃがんだまま手を挙げて挨拶を交わした。

亡富夫は、同所を出発して自宅に向かう間にも、多量の汗をかき、原告の問いかけにも返事をしないまま無言で自動車を運転し、午後五時四五分ころ自宅に到着すると、自動車を車庫に入れず庭に停車させたまま、居宅に這い上がり、胸を押さえてうつ伏せになり、原告に胸痛を訴えた。

亡富夫は、ニトログリセリンの舌下錠を服用しようとしてこれを吐き出したため、原告の依頼で、午後六時四七分、小野海医師の往診を仰ぎ、同医師の指示で、健康保険南海病院に救急車で搬送された。同病院では、亡富夫に血圧の低下(七二―五六)、脈拍微弱のほか、心電図上右側胸部誘導(V1ないしV3)のST波上昇、完全右脚ブロックの所見が認められ、ショック状態に陥ったことから、心筋梗塞(心電図所見より、前壁ないし中隔部位の梗塞と判断される。)と診断され、酸素吸入、輸液、昇圧剤等の投与、心肺蘇生術の施行を行ったが、亡富夫は、同日午後一〇時三五分に死亡した(争いのない事実、乙第三号証の五、一二、三四、三八、六一、第七号証の一、第二六号証の一、二)。

(3) 死亡当日の作業環境

亡富夫が死亡した日の佐伯地方の気象状況、気温は、平均気温が二六度、最高気温が29.5度(正午)、亡富夫の勤務中の最低気温が25.4度(午前八時)、日照時間が11.2時間、平均風速1.7メートルで、別紙四のとおり同日以前と比較して特段に気温が高いということはなかった(乙第三号証の五〇)。

2  業務起因性の判断基準

労災保険法に基づく遺族補償給付、葬祭料は、「労働者が業務上死亡した場合」に支給されるものである(労働基準法七九条、八〇条、労災保険法七条一項一号、一二条の八第一項四号五号・第二項)。

そして、労働者が疾病により死亡した場合に、労災保険法により遺族補償年金及び葬祭料が給付されるには、その疾病が労働基準法施行規則別表第一の二に掲げる疾病に該当することを要するところ、亡富夫の死亡は心筋梗塞によるものであるが、原告の主張するような過重労働に基く肉体的、精神的負担による心筋梗塞については、同表第一号から第七号までに掲げるところにはなく、同表第八号の定めによる疾病にも該当しないものであるから、本件が業務上死亡に当たるか否かは、その死亡が同表第九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」によるものか否かによることになる。この業務起因性が認められるためには、右傷病と業務との間に相当因果関係のあることが必要である。

そして、いわゆる労災補償制度が、業務に内在又は随伴する危険が現実化して労働者に傷病等を負わせた場合に、これによる労働者の損失については使用者に無過失の補償責任を負担させるのが相当であるという危険責任の法理に基づくものであることに鑑みると、業務と傷病との相当因果関係の有無は、経験則、科学的知識に照らし、その傷病が当該業務に内在又は随伴する危険の現実化したものかどうかによって決すべきである。

そして、右労災補償制度の趣旨に鑑みれば、本件のように労働者が有していた基礎疾病が原因となって死亡した場合には、通常の勤務に就くことが期待されている労働者にとって、精神的、身体的に過重負荷となり得る業務を遂行した結果、これが日常生活の要因よりも有力に作用して、右基礎疾病をその自然的経過を超えて増悪させ、死亡の結果を招いたと認められるとき、又は右基礎疾病に起因して安静を必要とする病状にあったにもかかわらず、引き続き業務に従事せざるを得ないような客観的状況の下で業務に従事した結果、病状が悪化して死亡したと認められるときなどに限って、当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したものというべきである。

3  亡富夫の死亡の業務起因性

(一)  亡富夫の心筋梗塞の発症時期

前認定の事実によれば、亡富夫は、昭和五七年七月三一日の午後四時五〇分ころから五時ころにかけて、心筋梗塞の前駆症状としての多量の発汗の症状を呈し、次いで顔色が悪くなり、その後、午後五時三〇分から四五分ころにかけての帰宅の車中で、心筋梗塞の初期症状としての胸痛、胸部圧迫感が生じ、急性心筋梗塞を発症したと認められる。

証人児玉は、その証言及び意見書(乙第三号証の四〇)において、亡富夫が同日午前一〇時の休憩時間中にレッカーの運転席でうつ伏せになっていたことをもって、同人に狭心症の発作ないし切迫梗塞の症状が出現したものであると述べるが、この時点で亡富夫に発汗、顔色の悪化、胸痛・胸部圧迫感、呼吸困難など、狭心症発作の際の典型的な症状が出現したことを認めるに足りる証拠はなく、その後、午後四時五〇分ころまで、作業中も休憩中も、普段と変わった様子が認められなかったことに照らし、右意見、証言を採用することはできない。

(二)  亡富夫の業務の過重性

(1) 亡富夫は、昭和五二年ころから、本態性高血圧症、虚血性心臓病に罹患し、昭和五二年六月から昭和五六年四月まで、五回にわたる狭心症発作を起こし、そのうちの一部は心筋梗塞に移行しており、また右期間中の心電図検査においても、一時的に改善傾向を示すことはあっても、ほぼ一貫して虚血性心疾患、冠動脈肢の病変の存在を示す異常所見が現われていた。さらに、亡富夫の死亡当時、同人には、そのほか、高コレステロール血症、肥満、心肥大、高尿酸血症等の基礎疾患ないし既往歴、喫煙の習慣など、複数の虚血性心疾患ないし冠状動脈硬化症の冠危険因子が存在しており、右高血圧症、高コレステロール血症、心電図異常、高尿酸血症等はいずれも著明な改善傾向を示すことなく推移していたものであって、そのため、同人には心筋梗塞の発症、急死に至る高度の危険性が存在していた。

一方、亡富夫は、協栄産業において、主に本船内での玉掛け作業、レッカーの運転等の業務に従事しており、玉掛け作業は高温下での重労働であったが、レッカーの運転は肉体的には比較的楽な作業で、作業環境においても地上の鉄板仕訳作業に比べて輻射熱による高温の影響は少ない状況にあり、職業労作の運動強度においてはトラック、タクシー運転等と同程度のものであった。そして、死亡から約一か月前の同人の作業内容をみると、本船内での玉掛け作業は六日間だけで、それ以外はレッカーの運転を中心とした肉体的には比較的負担の重くない業務に従事しており、特に死亡の約一週間前からは、本船内での玉掛け作業には従事しておらず、また作業環境においても、右玉掛け作業に従事した六日間も含めて、著しい高温下で稼働する状況にはなかった。

また、亡富夫の勤務状況をみると、死亡前約一か月の時間外労働時間は、昭和五七年七月期で合計二三時間、七月二六日から三一日までの間が合計八時間、休日出勤の回数が三回に及び、別紙一、二のとおり、協栄産業の同僚と比較してもやや多い方であり、特に七月一二日から同月二八日まで一七日間の連続勤務に従事しているものの、法定休日二日間のほか、七月二九日に有給休暇一日分を取得していること、前記のとおりレッカー回送のための早出の場合は三〇分程度で作業が終了していたことなどを考慮すると、著しく長時間にわたる時間外労働、多数回にわたる休日出勤をしていたものとまでは認められない(原告本人は、七月二九日の休暇取得は結婚式出席のためで、休養にならなかったと供述するが、かかる主観的事情を亡富夫の業務の過重性の判断要素とするのは妥当でない。)。

そして、亡富夫の死亡前日から当日に至る勤務状況、業務内容等をみても、死亡前日は正規の勤務時間内でレッカーの運転、水切り作業に従事し、死亡当日も、正規の勤務時間内で、レッカーの運転に従事しており、作業環境の点でも、気温は特に高温でなく、レッカー運転席の状態も、地上従業員ほど鉄板やアスファルトの輻射熱の影響はなく、通気性もあり、特に暑熱に曝露されるという環境下にはなかった。

したがって、亡富夫が従事していた業務は、いずれの期間においても、通常の勤務に就くことが期待されている労働者にとって、精神的、身体的に過重負荷であったとまでいうことはできず、同人に存した虚血性心疾患、冠状動脈の病変等の基礎疾病を、その自然的経過を超えて増悪させる危険性を有するものであったと認めることはできない。

(2) ところで、原告は、亡富夫が、死亡当日の午後四時五〇分ころから、ラワン材の玉切り作業をチェンソーを使用して行い、右作業が過重な精神的、身体的負荷となって、同人の基礎疾患を増悪させたものであると主張する。

しかし、亡富夫の玉切り作業を現認した者はおらず、協栄産業の作業課から同人に玉切り作業の指示があったとの証人森川の証言は、これに反する証人大下の証言に照らし採用できず、他に玉切り作業について、同会社や吉田港運の指示又は顧客からの依頼があったことを認めるに足りる証拠はない。また、亡富夫が玉切り作業をしていたとする証人森川の証言及び供述(甲第二号証)は、協栄産業の従業員である柴田優からの伝聞として述べられているところ、同人は玉切り作業の現場となる岸壁からは離れた女島岸壁の土木工事に従事しており、また柴田の供述(乙第三号証の二〇)には、亡富夫の玉切り作業について何ら述べられていないことなどに照らして、採用することができない。さらに、玉切り作業は、通常、ログローダーでラワン材を運搬し、玉切りをしてトレーラーに積み込むという一連の共同作業の一環であるところ(証人大下、同森川、同高野)、右運搬及び積み込みの作業をした従業員の存在を認めるに足りる証拠はなく、また岸壁で玉切り作業をした場合、約一〇〇メートル離れた協栄産業の事務所まで聞こえる程チェンソーが音を立てるが、右作業音を聞いた者は誰もいない(証人高野、弁論の全趣旨)。

したがって、亡富夫が死亡当日に玉切り作業を行ったと認めることはできず、これを前提として同人の業務が過重であったとする原告の主張は採用することができない。

(三)  亡富夫の業務の不可避性

亡富夫には、死亡当日の午後四時五〇分から午後五時ころにかけて、心筋梗塞の前駆症状としての発汗が出現し、右時点で同人は安静を必要とする病状に陥ったものと認められるが、右症状の出現は勤務終了間際のことであり、そのころには亡富夫はレッカーの運転を中止し、鉄板仕訳作業も終了して、他の作業員も協栄産業の事務所に戻ったこと(証人森川)などに照らすと、亡富夫の業務の客観的状況からみて、引き続き業務に従事せざるを得なかったために必要な安静を保つことが困難であったとは認められない。

なお、原告は、午前一〇時の休憩時間に亡富夫に前駆症状が出現したことを前提として、レッカー運転の代替要員がいなかったため、亡富夫は必要な安静を保つことができず、引き続きレッカー運転を行わざるを得ない客観的状況にあったと主張する。しかし、亡富夫に、そのころ、心筋梗塞の前駆症状が生じたと認められないことは既に説示したとおりであり、また、同日の協栄産業、吉田港運の出勤者のうち、大竹良一、鳴海寅松、黒沢某がレッカーの運転免許を有していたこと(乙第三号証の四四、証人大下、同高野)に照らすと、仮に亡富夫が午前一〇時ころに安静を必要とする病状にあったとしても、他の出勤者によってレッカー運転を代替することは可能であり、引き続き業務に従事せざるを得ない客観的状況があったとは認められないので、右原告の主張は採用することができない。

(四)  安全配慮義務違反と業務起因性との関係

ところで、原告は、亡富夫の高血圧症、狭心症等の既往症について、協栄産業や吉田港運が知り得る立場にあったのに、亡富夫の作業環境の改善や作業負担の軽減等の措置をせず、そのことが右既往症の増悪による死亡の結果をもたらしたと主張する。

しかし、労災補償の本質は、企業の危険責任に求められ、相当因果関係の有無は、企業に内在ないし随伴する危険が現実化したものかどうかという観点から決せられるべきものであり、使用者の知、不知ないし予見可能性といった主観的事情によって左右されるべきではなく、右事情は使用者の安全配慮義務違反の有無の問題として考慮すべきであり、労災保険制度における業務起因性の判断において考慮すべきではないから、原告の右主張は採用することができない。

(五)  業務起因性を肯定する医師の意見についての判断

証人久米行則は、その証言及び意見(乙第二号証、甲第一八号証の一)において、亡富夫の死亡当日におけるレッカー運転及び勤務終了間際の玉切り作業は、同人の心身に過重な負担を及ぼしたこと、また、同人が継続して行ってきた玉掛け作業、レッカー運転には代替要員が乏しく、就業時間内の通院が困難であったほか、作業そのものが寒暑にさらされる環境のもとに行われ、しかも休日出勤や時間外労働を頻繁に強いられてきたことに照らし、亡富夫の死亡には業務起因性があるとする見解を述べている。しかし、右見解は、亡富夫が従事してきた作業の過重性について過大に評価し、同人の心筋梗塞に対する危険因子の存在を軽視するものであって、これを採用することはできない。証人児玉俊一も、亡富夫の死亡につき業務起因性を肯定するが(乙第三号証の四〇、同証言)、死亡当日に行われていない玉切り作業による著しい負荷があったとする点で、採用することができない。

また、業務が亡富夫の心筋梗塞の誘因となったとする野村和雄医師(死亡時に診察した健康保険南海病院の医師)の意見(乙第三号証の三七)や、亡富夫の作業条件が心筋梗塞の発症に誘因的に作用したとする黒岩昭夫医師の意見(乙第三号証の六〇)も、判断材料となる資料に乏しく、そのままでは採用することができない。

(六) したがって、亡富夫に心筋梗塞の発症と同人の業務との間に、相当因果関係は認められず、同人は「業務上死亡した」ものとは認められない。

三  結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する(平成九年一二月一日口頭弁論終結)。

(裁判官山口信恭 裁判官大西達夫 裁判長裁判官菊池徹は、転補のため署名捺印することができない。裁判官山口信恭)

別紙一〜四 <省略>

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